神話に見る古代の食の話~麦の物語

神話に見る古代の食の話~麦の物語

イタリアの食の歴史を遡るとまず古代ローマ、さらに古代ロ―マ人が尊敬してやまなかった古代ギリシャへとたどり着きます。

当時彼らは何を食べていたのでしょうか。それは主に穀類。

歴史の中において穀類は別格の物のものでした。だって一度に大量に収穫でき、しかも保存ががきくのですから。この保存がきくというのが重要で、例えばキャベツならたくさん採れても、じきに悪くなってしまうので長期間食べ続けることが出来ません。それに味がしっかりあるので、飽きてしまいます。一方穀類は、乾燥させて蓄えて置けるおかげで年間を通して飢えることがなくなりました。しかも味が薄い・・・という事は、どんな食材とも相性が良いという事になります。

小麦の畑

穀類、中でも麦が古代においてどれだけ重要であったかという事を知るために、ギリシャ・ローマ神話の中にそれを探してみましょう。

神話の「麦の物語」の舞台はシチリアです。本によっては、シチリアの真ん中に位置するエンナとはっきりと書いてあります。エンナには農業と豊穣の女神チェーレレが住んでいたと言われ、大変に豊かな土地だったとか。娘ペルセーポネが地獄の王にさらわれたのが、そこから10キロほどのところにあるペルグーサ湖でした。その周りで花摘みをしていた時に、地面が割れて連れ去られてしまったのです。現代ではペルグーサ湖の周りは馬場になっていて近づくことは出来ないようになっています。地獄の王の再出現を恐れたからかしら。

さあ、それを知ったチェーレレは嘆き悲しんで野原をさ迷い歩き、豊穣の恵みをもたらすことがなくなります。地上は枯れはて、鳥も鳴かなくなり、人間が生きていくのも難しくなるほどです。そこで全知全能の神ゼウスが地獄に使いを出して娘を母の下に返してやるように伝えることとなります。地獄の王は拒絶すると思いきや、母を恋しがるペルセーポネを愛するがゆえに、彼女の思いをくんで帰してやることになります。でもここで策略をひとつ。地獄に来て何かを食べたらまた地獄に戻らなければならない掟を使って、今まで泣くばかりで何も食べなかったペルセーポネにザクロの実を食べさせるのです。そのため、一年のうち数カ月は地獄で暮らすことになってしまいます。

地上で、娘のいない時期には緑が無くなり、娘が戻ってくると緑ももどります。ここから四季が生まれたとされていますが、もっと深い解釈では娘は麦の化身で、地獄に行ったのは実った麦の種が地面に眠る冬を意味し、そこから芽吹いて成長し穂をつける間は地上が春から秋の時期とされています。

チェーレレ
ペルセーポネ

なぜ麦なのか。それは西欧で一番大切な食べ物だからです。

麦は古代ではポレンタに使われていました。現在ではトウモロコシで作ったポレンタが普通ですが、古代のポレンタは粗挽きにした小麦を煮たもの。それが庶民の主食でした。

世界中で小麦は粉にして使っていますが、イタリアには特に粒小麦の料理が残っていて、そこに古代の様子を伺うことが出来ます。

初期のころに使われていた麦は主に大麦、そのためイタリアでまず栽培されたのは大麦でした。やがて製粉技術が発達すると、主役の座はグルテンが多く調理するのに扱いやすい小麦が占めるようになっていきます。

小麦と言えばパンとパスタ。古代ギリシャ人が持って来た調理技術はそのまま根付いて、イタリアの食卓には無くてはならないものになっていくのです。

ちなみにイタリア語の穀類という単語は、女神チェーレレから出ていてチェレアーリ(cereali)。何気ない単語の裏に隠された古代の物語です。

この回からしばらくは、神話の中に出てくる食材についてお知らせします。


長本和子 NAGAMOTO Kazuko
イタリア料理研究家 劇団青年座在籍当時イタリアに魅せられ、イタリアのホテル学校に留学。その後料理通訳などを経て、プロ向けイタリア料理・ソムリエ現地研修を企画する会社を設立。卒業生は450人ほどになり、日本各地で活躍している。現在は料理を通してイタリア食文化を紹介している料理教室「マンマのイタリア食堂」主宰。日伊協会常務理事。「イタリア好き」に小説連載中。
まだイタリア料理が日本でそれほど知られていないころから、イタリアのほとんどの州を周り、食材の旅をしてきました。現在は料理教室「マンマのイタリア食堂」で、webセミナーリオを行い、郷土料理や食材の歴史や理論を語っています。

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