中世の厨房が見られる修道院

中世の厨房が見られる修道院

ブドウ畑が続くキアンティの丘陵を抜けて到着したのは、パッスィニャーノの大修道院です。静寂の中並木を抜けて要塞のような建物の入り口に着くと、修道士さんが出迎えてくれました。

要塞のような修道院の入り口

4世紀に古代ローマ帝国が崩壊すると、中世に入ります。暗黒の時代と言われるように秩序が壊れ、文化に価値を置かない侵入者たちが古代ローマの文明を壊していく時代です。当然食文化も影響を受け、以前のような手の込んだ料理や社交としての食卓は無くなっていきます。そんな時に文化的な役割を果たしたのが修道院。修道士たちに武力はなくとも、その背景に当時の最高権力者教会があるので、敷地内には切り取られた平和があったのでしょう。
ワインやチーズを作ったり、菜園を持ったり。自給自足を基本とする修道士たちのおかげで、現代まで生き延びたブドウ品種やチーズ製造技術が多々あったとか。

その修道士たちの厨房が見られるのが、この大修道院です。スタイルは中世風。
中に入るとまず目につくのがフォコラールと呼ばれる大きな囲炉裏です。囲炉裏と書いたのは、そこは1メートルほど高い台の上で、上がるための階段もあり火の周りにはベンチが置いてあるからです。修道士がそこでおしゃべりに興じていたとは思えませんが、きっと囲炉裏にかけた鍋で物を煮ている間に、静かに祈祷書を読んでいたのでしょう。

厨房内の囲炉裏

突き当りにあるのは、貯蔵庫。常に窓が開いていて空気が流れ、チーズや加工肉を保存するのに最適な環境です。今ではそれを思い出させるように、プラスチックのプロヴォローネチーズと生ハムが置いてありました。それにその横にはワインのボトルも。当然すぐ近くには、ワインの樽とトルキオと呼ばれる圧搾機がおいてあります。何百年もの間、修道士たちはこのワインを飲んできたのでしょう。

ところでそれは白ワインでしょうか、それとも赤ワインでしょうか。答えは赤。「パンはキリストの肉、ワインはキリストの血」とされているので、赤ワインでなくてはなりません。

チーズと生ハムのある貯蔵庫

案内の修道士の方に「エレベーターで階上に料理を運んでいたのですよ」と聞いてビックリ。この中世風の場所に、エレベーターは似合いません。指さす方向を見たら、上階から紐のついたカゴがつり下がっていました。なるほど、これがエレベーター・・・・修道院は天上の高さがとてつもないので、これは必需品です。

修道院風エレベーター

それにしても、ほとんどが銅鍋です。銅は熱伝導が良いので、火力の節約にもなり、当時としては理想的な調理道具です。でも高価。こんなところからも教会や貴族のバックアップがあったのだろうと想像できます。

そうそう、当時の教会の役割に「教育」がありました。ルネサンス以降の著名な料理本の作者スカルコ(料理やワイン、おもてなし一切に精通した宴会の総プロデューサー)には、孤児や母子家庭出身者が多く、教会に預けられて教育を受け、数学、言語、地理学等を修めた人が幾人もいるのです。

きっとこの修道院にもそのような少年たちが預けられていたのでしょう。

傑作は、入り口近くに飾られている修道士の人形です。その彼が持っているのがパンとワイン。そうキリストの肉と血です。さらに、ワインボトルはキアンティのコモかぶり。まさにこの地を代表するものです。その若き修道士はなぜかぽっちゃり形。求道者というと痩せていて、目つきの鋭い人を想像しますが、こちらでは心穏やかに食の喜びを感じながら日々生きていたのかしら。

パンとワインを持つ修道士の人形

もちろんこの大修道院には、厳粛な礼拝堂や聖人たちの壁画が描かれたセミナーリオルームがあるのですが、食の人間としては・・・そちらは憶えていない・・・そのくらい厨房が強烈だったのです。


長本和子 NAGAMOTO Kazuko
イタリア料理研究家 劇団青年座在籍当時イタリアに魅せられ、イタリアのホテル学校に留学。その後料理通訳などを経て、プロ向けイタリア料理・ソムリエ現地研修を企画する会社を設立。卒業生は450人ほどになり、日本各地で活躍している。現在は料理を通してイタリア食文化を紹介している料理教室「マンマのイタリア食堂」主宰。日伊協会常務理事。「イタリア好き」に小説連載中。
まだイタリア料理が日本でそれほど知られていないころから、イタリアのほとんどの州を周り、食材の旅をしてきました。現在は料理教室「マンマのイタリア食堂」で、webセミナーリオを行い、郷土料理や食材の歴史や理論を語っています。

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