燈明から調味料まで、オリーヴ油の役割

燈明から調味料まで、オリーヴ油の役割

昔イタリア料理講習会の通訳をしていた時に、講師のシェフたちがオリーヴ油を「olio油」ではなく「Condimento 調味料」と呼ぶのに気が付きました。「なぜだろう」と色々考えた末に、「サラダオイルと比べて。これだけ香りも味も強いものなら料理の味に影響を与える。だから調味料なんだ」と気が付きました。それ以降講習会では「オリーヴ油は調味料なんですよ」と言い続けて、今ではそれが常識となっているようです。

ところでこのオリーヴ油、古代では調味料としての利用だけじゃありません。古代ギリシャ人はまず灯に使いました。小さなテラコッタのランプにオイルを入れて糸を通してそこに火をつける。南イタリアのほとんどの考古学博物館には数多く陳列してあるので、ひょっとしたら一部屋にいくつも使っていたのかしら。他にもレスリングをする時に体に塗ったり、香油に使ったり、食料の保存に利用したり、ともかくその用途は多岐にわたっていたようです。

古代ギリシャ時代のランプ

食材としてのオリーヴ油については、古代ローマ時代の料理書に面白いものが載っています。その本はアピーチョ(アピキウス)の「料理のために De re coquinaria」。「スペイン産のオリーヴ油を高級品と思わせるためには、野草二種と生の月桂樹の葉を粉状にしたものと細かい塩を混ぜ合わせ3日以上おくとリブルニア(現在のクロアチア)製のオリーヴ油だと全ての人が信じるだろう」ですって。当時からイミテーションはあったようで・・・

この本の中には揚げ物も多く載っていて、当然使うのはオリーヴ油。その中の「スカペーチェ」の先祖にあたるリチェッタを見てみましょう。「好みの魚を揚げる。コショウ、クミンなどの香辛料を乳鉢で擦り、そこにワインビネガー、ハチミツや魚醤(ガルム)等を一度煮立ててから、魚に注ぐ」これってまさに南蛮漬け。きっと古代ローマの侵攻と共にこの技術がポルトガルに伝わり、それが安土桃山時代に日本に伝わったのでしょう。

古代ローマ料理を再現した写真

時代は下って1700年代。手元にパヴィアの僧院で購入した植物の薬効の本があります。作者は僧院の修道士で、修道院に伝わる秘薬をまとめてあります。その中のオリーヴの頁には、油の効用は「胃痛、潰瘍の痛みに効く。胃の粘膜を保護する。便秘に効く。胆のうと腎臓機能の促進。腎臓結石の除去」、煎じた葉は「血圧の正常化。動脈硬化。痛風。急激な熱に効く。血糖値を下げる」などの効能があると載っています。

パヴィアの僧院の薬効の本

さてイタリアに古代ギリシャ人が持って来たオリーヴ油はイタリア料理の基本油脂だと書きましたが、そうではない地域があります。それはアルプスの山の中。オリーヴは北緯30度から45度の温暖な地帯の植物なので、アルプスの寒冷な気候の中では育ちません。アルプスの人たちの生活は、酪農に依存しています。夏の間に牛からチーズを作り、冬の食料とします。油脂はその時にできるバターです。常温で長期間持つものではないので使うのはブッロ・キアリフィカートBurro chiarificatoと呼ばれる加熱して澄んだ脂の部分だけを取り出した物。もちろん今は冷蔵庫のおかげで、バターを保存できるためめったに見かけなくなりましたが。そのようなわけで、基本油脂で分けるイタリアには、バター圏内とオリーヴ油圏内があります。

余談ですが、ピエモンテのツァーでバターベースの料理が続き胃が重くなったところ、急に料理が軽くなってシェフに「あなたの料理は素晴らしい」とほめたことがありました。実は、南下してその地がオリーヴ油圏内だったのです。バター圏とオリーヴ油圏では、かなりはっきりと料理が変わります。


長本和子 NAGAMOTO Kazuko
イタリア料理研究家 劇団青年座在籍当時イタリアに魅せられ、イタリアのホテル学校に留学。その後料理通訳などを経て、プロ向けイタリア料理・ソムリエ現地研修を企画する会社を設立。卒業生は450人ほどになり、日本各地で活躍している。現在は料理を通してイタリア食文化を紹介している料理教室「マンマのイタリア食堂」主宰。日伊協会常務理事。「イタリア好き」に小説連載中。
まだイタリア料理が日本でそれほど知られていないころから、イタリアのほとんどの州を周り、食材の旅をしてきました。現在は料理教室「マンマのイタリア食堂」で、webセミナーリオを行い、郷土料理や食材の歴史や理論を語っています。

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