トスカーナの農業文化博物館

トスカーナの農業文化博物館

今日本では50年前とは全く違う生活をしています。隙間風の入らないアルミサッシの窓、床暖房、羽根布団。カマドはガスやIHに代わり、火力の微妙な温度調整までできます。しかし、待てよ。それらを全て忘れ去って良いのかしら。いやそれらがあったからこそ今があるのを、心にしっかりと刻み付けて置くことが大切なのではななかろうか。

先人たちの努力があったからこその今だと。

イタリアは家族の絆が強い分、時代を生きてきたおじいちゃん、おばあちゃんへの敬意が強いような気がします。それでも世代交代があると、先代の物を置いておく環境はありません。日本と同じで、泣く泣く捨てたり、誰かにもらってもらったり。

それに心を痛めた有志達と教会が作り上げたのがこの博物館です。中には色々な家から出た過去の遺物・・・実はそれこそが文化なのですが・・・並んでいます。

博物館はいくつかの部屋に分かれていて、最初に通されたのが布の部屋。機織機等が並んでいます。人が原料を紡いで、糸一本の幅ずつ織り込んだ布。そりゃ大切にしますよね。だから最後の最後のボロになるまで使っていた・・・かつての日本と同じです。

昔の機織り機

オリーヴ油の部屋に行ってみましょう。中心にあるのは巨大な石臼。昔の・・・と言ってもほんの50年ほど前まで使われていたものですが、まずオリーヴの実をこの石臼ですりつぶして、それをトルキオと呼ばれる搾汁機で絞っていました。石臼を速く回すと熱をもってオリーヴ油が劣化するので、ゆっくりとロバにひかせ、今度はそれを袋に入れて圧をかけ搾り取り、カメに入れて浮いてくる油をすくいとる・・・今は全て機械化されて、一度スタートしたら空気に触れて酸化するリスクが無いように作られています。ロバはいらないし、人の手に触れることもない。でも原点はここ。

オイル用石臼

次の部屋では、テラコッタの大きな鍋が目に入りました。重いし、場所を取るし、無用の長物だと思うけれど、これで作った「トスカーナ風リボッリータ」は絶品だとか。元々はそれ一杯だけで食事を終えられるピアットウニコというグループの料理で、野菜も豆もパンも一つの鍋の中で煮込んだものです。「リ」は再びという意味、「ボッリータ」は煮た。つまり煮かえせば煮かえすほど美味しいという事でこの名前がつきました。本来はこの鍋で煮ていたのだそうです。鍋の材質によって火の通りが違うので、料理の味が変わるとか。このテラコッタ製の鍋で作ったリッボリータを食べてみたい・・・

リボッリータ鍋

イタリアは小麦文化の国です。小麦を栽培するためには畑を耕さなくてはなりません。それは牛の仕事で、二頭の牛にくびきをかけてひかせていました。くびきは日本でも使われていましたが、博物館のそれは、つい先日見た3000年前のエトルリア時代の物と全く同じ形です。その時代にもう完成されていいて、延々と受け継がれてきていた訳です。

3000年前と同じ形のくびき

あら日本とと同じ洗濯板がある。この形はどうやって日本まで伝わってきたのだろう。洗濯板の起源は知りませんが、はさみの形も同じです。この形は2000年前にはもうイタリアにあったのです。だから和バサミとは呼ばれているけれど、起源はユーラシアかもしれません。いえ、きっとそうなのでしょう。

洗濯板

ここに展示されているものは50年から数百年前のものですが、古代ローマ時代の博物館などに行った後だと、その時代から現代に至る流れが本当によく分かります。

聞けばこの博物館は常に開いているわけではなく、予約をするとボランティアの方がきて案内してくれるのだとか。当日案内してくれた方は元学校の先生でした。文化の国イタリアを、このような方たちが支えているのだなとつくづく感じました。


長本和子 NAGAMOTO Kazuko
イタリア料理研究家 劇団青年座在籍当時イタリアに魅せられ、イタリアのホテル学校に留学。その後料理通訳などを経て、プロ向けイタリア料理・ソムリエ現地研修を企画する会社を設立。卒業生は450人ほどになり、日本各地で活躍している。現在は料理を通してイタリア食文化を紹介している料理教室「マンマのイタリア食堂」主宰。日伊協会常務理事。「イタリア好き」に小説連載中。
まだイタリア料理が日本でそれほど知られていないころから、イタリアのほとんどの州を周り、食材の旅をしてきました。現在は料理教室「マンマのイタリア食堂」で、webセミナーリオを行い、郷土料理や食材の歴史や理論を語っています。

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