オスティア アンティカに古代の生活を見る

オスティア アンティカに古代の生活を見る

今月は、ローマから発信しています。

「ローマは偉大なり」と素直に思ってしまうのは、遺跡を訪れた時です。だってそこでは今と直結した生活が見られるんですから。

古代ローマの建国は紀元前753年。ローマの名前のいわれとなった双子の一人ローモロ(ロムルス)から始まって、王政期、共和政期、帝政期を経て崩壊に向かいますが、その間約千年間(!)西欧文化の基本となる文明を築いていたわけです。

この時代はイタリアの食文化の原点でもあります。何しろ食が、命をつなげるための物から、喜びのための存在になっていったのですから。もちろん色々な料理が生まれて、おいしいものを食べるのが基本ですが、その土台の上に社交が生まれています。料理を中心に人々が語り合うのが習慣になっていくのです。

それを見るために、ローマ郊外にあるオスティア・アンティーカに行ってみましょう。そこの目玉は何といってもテルモポリオンと呼ばれる居酒屋(もちろん考古学的に価値のある素晴らしい規模の劇場もありますよ)。通りの奥まったところにあり、その店のあるところだけ二階にバルコニーがついている・・・という事は、ここがエントランスの目印になっていて、さらには屋根になるという仕組み。

通りに面したところにはカウンターがあり、そこにはいくつかの種類の石が使われています。同じ石の方がきれいだって思いますか? いえいえ、石を注文する時に一種類だけの方が楽だと思いませんか。それをわざわざ色も産地も違うものを注文するのは大変な手間、つまりこれは贅沢を表していると思う。

居酒屋の入り口
当時の復元図

中に入ると目の高さに階段がある・・・そこはショーウインドーの役割で、ワインの壺などを飾っていました。でもその上を見てください。当店のメニューが描かれているのです。

左にセットメニュー・・・ニンジンとワインを入れるためのコップ、そして下にコロコロあるのは何だろう・・・次がワイン一杯分のコップ、右手に描いてあるのはチーズかしら、それとも腸に入れたサラミかな・・・下に縛ったところがあって、釘にぶら下がっている。

古代ローマは国際都市で、ラテン語を知らない人もたくさん来ていて、その人達のためにメニューは絵で描かれていたのです。

飾り階段と当時のメニュー

横の部屋は厨房です。まず目につくのが土に埋められた大きな壺です。この中に入っていたのはワイン。古代ローマ人は、ワインを保存するのに低い温度が良いと良いうことをすでに知っていたのです。空気と遮断する術は知らなかったので、酸化して酸っぱくなったらしいけれど、それへの対処もちゃんとしています。ハチミツや花びらなどを入れて風味をつけ水で薄めていたのです。今のワインのイメージとは遠いけれど、夏の日、石の照り返しの中、ここに来て飲む一杯のワインはこの上なく美味しいものだったのでしょう。

厨房には洗い場もあるし、奥の中庭に座って休むこともできたらしい。

厨房のワインを入れるカメ


これって今のバールとそっくりじゃありませんか。まずはカウンターがあって、カウンター越しに注文をし、受け取ったものをもってテーブルに着く。今でもバールの前にある椅子に座ってコーヒーを飲んでいる人がたくさんいるのは、ルーツをたどればこちらのテルモポリオンじゃないかしら。

テルモポリオンから遠くない所には、ワインの醸造所があるんですよ。巨大なカメが地面にたくさん埋まっています。きっとワインがなくなるとここから持って来たに違いない。何しろ歩いて2分ほどの所ですから。

ワイン醸造所

もう一つのお目当ては、パン屋さんです。当時は小麦を洗って、粉に挽いてから、こねて成形して焼くという事をすべてやっていました。そこには当時の道具がそのまま残っています。

まず目につくのが製粉機。高さ150センチほどで、二つの石でできています。台座は先がとんがっていて、上の部分がすっぽりかぶさるようになっている。上には穴が開いていて、そこに洗浄した小麦を入れて、ロバに回させると間から粉になった小麦が出てくるという仕組みです。

面白いのは「捏ね機」。いまは臼のようなものが残っているだけだけれど、当時は木でできたものが中に入っていて、回すと生地をこねるようになっていたはず。

生地が出来たら成形して、今は土台と壁しか残っていないオーブンで焼きます。奥行きが5メートルほどもあるので、かなり大量のパンを焼いていたようです・・・つまり、パンは古代の食料の中で重要な位置を占めていたということ。

パン屋の入り口

2000年前は今とは関係ない生活を営んでいたと思いがちですが、ローマに来ると直結をしていることに驚きます。それはローマが文化を発信するところだったから。受信する地はどんどん変わっていくけれど、発信している所は代々同じようなものが伝承されていくだけで劇的な変化はありません。

その証拠にちょっと気を付けてみると、ローマ料理の中に2000年を遡る物がちょこちょことあるのです。

それは次回に。


長本和子 NAGAMOTO Kazuko
イタリア料理研究家 劇団青年座在籍当時イタリアに魅せられ、イタリアのホテル学校に留学。その後料理通訳などを経て、プロ向けイタリア料理・ソムリエ現地研修を企画する会社を設立。卒業生は450人ほどになり、日本各地で活躍している。現在は料理を通してイタリア食文化を紹介している料理教室「マンマのイタリア食堂」主宰。日伊協会常務理事。「イタリア好き」に小説連載中。
まだイタリア料理が日本でそれほど知られていないころから、イタリアのほとんどの州を周り、食材の旅をしてきました。現在は料理教室「マンマのイタリア食堂」で、webセミナーリオを行い、郷土料理や食材の歴史や理論を語っています。

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