アリステアウスとハチミツ

アリステアウスとハチミツ

ドルチェDolceイタリア語で菓子類を指しますが、その他にも辞典には「穏やかな」「柔和な」「優しい」「うっとりとする」など、肯定的な言葉がならびます。ドルチェが嫌いなどと言えば、特にイタリアでは変人の部類に入れられてしまいます。

今でこそ菓子類のリチェッタには常識的に甘味料として砂糖が使われていますが、イタリアで使われているのは砂糖の他に、ブドウ果汁を煮詰めたヴィンコットと蜂蜜があります。

ヴィンコット

実はこのヴィンコットとハチミツには2000年を超える歴史があって、砂糖はかなり新参者。

古代の人々は熟した果物を食べて、これをもっと甘くできないかと考えたのでしょう。ブドウ果汁を絞ってそれを煮詰め、とろり甘い液体を作り、モストコット=ブドウ果汁を煮詰めた物の意味、ヴィンコット=ワインのもとになる物を煮詰めた物の意味、その他サーパやサーバという名前で呼んでいました。これは古代ローマ時代の代表的な甘味料で、当時の多くのドルチェに使われていました。

さてもう一方のハチミツですが、こちらは古代ローマ時代よりもっと古い古代ギリシャから伝わって来た物です。

ギリシャ神話の蜂飼いの名はアリスタエウス。そのアリスタエウスは、妻エウリュディケを地獄に迎えに行ったオルフェウスの物語の原因を作った人。

アリスタエウス

アリスタエウスはエウリュディケに横恋慕して彼女を追いかけ、追いかけれた彼女は逃げる途中に毒蛇を踏んで噛まれ、命を落とします。ここからオルフェウスのストーリーは始まるのですが、食の分野ではアリスタエウスを追っていかなければなりません。エウリュディケに逃げられた彼はその後の出来事も知らず自分の蜂箱に戻り、蜂が全て死んでいるのを見つけます。何が起きたのか分からず神の神託を求め、その言葉通り仔牛を神に捧げると、翌朝その腹からミツバチの群れが飛び立ちまた蜂飼いに戻れたという物語です。

この物語と共に養蜂を古代ギリシャ人から古代ローマ人は受け継ぎ、その技術を高めていきます。当時のウェルギウスの農耕詩には「蜂箱を置くところは、風が吹かず、動物の来ない所」「近くに水場のあるところ」が良いとし、「巣箱は樹皮やしなやかな小枝を編んで作り」「入り口は小さくしなければいけない」など今に通じる注意書きがたくさん載っています。それだけ普及していたという事でしょう。

このように手のかかるハチミツは古代の重要な甘味料で高級品、庶民はヴィンコットの方を使っていました。

砂糖はこの時代まだイタリアになく、9世紀のアラブ人のシチリア占領まで待たなくてはなりません。このハチミツとヴィンコットグループと砂糖では、作ったドルチェに決定的な違いが現れてきます。

蜂蜜を使ったドルチェの焼き菓子や揚げ菓子には、小麦粉の生地に甘味料が混ぜられていず、かならず上からかけてあります。サルデーニャのセアダスや南イタリアのストゥルッフォリを見れば分かるでしょう。これは生地の中に混ぜ込んで焼くと固くなってしまうからです。砂糖の出現は焼き菓子の作り方を根底から変えました。甘くてサクッとした焼き菓子の出現です。

さてこの三つの甘味料、どれを使っているかで時代と地方が分かります。ハチミツとヴィンコットは古代ギリシャや古代ローマの影響の強い南イタリア、そして砂糖が普及した1500年年代より前のドルチェだと読み取れるのです。

古代のアリステアウスの時代にあったのは百花蜜だけだったと思われます。今のイタリアにはオレンジ、栗、菩提樹など色々な蜂蜜があり、私は20種類もの蜂蜜セットを買ったことがあります。それぞれに特徴的な味と香りがあり、中でも前述のサルデーニャ島のセアーダスに使うのは苦味のあるコルベッツォロ(ヤマモモ)。甘味よりも粉薬のような苦みがあって・・・かなり独特なハチミツです。好きなのはサルデーニャの人だけじゃないかしら・・・。

セアーダス
サルデーニャのヤマモモ

長本和子 NAGAMOTO Kazuko
イタリア料理研究家 劇団青年座在籍当時イタリアに魅せられ、イタリアのホテル学校に留学。その後料理通訳などを経て、プロ向けイタリア料理・ソムリエ現地研修を企画する会社を設立。卒業生は450人ほどになり、日本各地で活躍している。現在は料理を通してイタリア食文化を紹介している料理教室「マンマのイタリア食堂」主宰。日伊協会常務理事。「イタリア好き」に小説連載中。
まだイタリア料理が日本でそれほど知られていないころから、イタリアのほとんどの州を周り、食材の旅をしてきました。現在は料理教室「マンマのイタリア食堂」で、webセミナーリオを行い、郷土料理や食材の歴史や理論を語っています。

もっと深くイタリア料理を知りたい方はこちらへ↓
https://www.nagamotokazuko.com/

長本和子facebookページ↓ https://www.facebook.com/kazuko.nagamoto.1/